民俗的に見たせんべい汁
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せんべい汁の食エリアの中心は、八戸市内と隣接する三戸郡全域と上北郡の一部、青森県との県境沿いの岩手県北部地方であることは、事前に推定していた。その検証を行うために、推定食エリアよりさらに広いエリアの人に聞き取り調査を行って、食エリアの特定と、調理法の違いやその分布、どの年代まで遡ることができるか等について調査を行った。

(1)民俗調査に見るせんべい汁の概要

@食べはじめていた時代
  ヒヤリングした人の記憶や、父母・祖父母からの聞きづてなどを頼りに、食べはじめた時代 を遡ってみた。昭和初期から戦時中という回答が多かったが、大正時代、明治初年頃に遡る報告もあった。 三戸町での調査では、体験を含めて祖父の時代から農繁期に「ウグイをだしに、てんぽせんべいで汁を作った」証言あり。遡れば明治初年には食べられていたようである。
 また、八戸市の櫛引・烏沢地区の調査で、現在の母(大正末年生まれ)の祖母の時代から食べられているとの証言があった。川蟹をダシにとったせんべい汁であったといい、この証言を遡ると、明治初年頃には食べられていたことになる。呼称も代々「せんべい汁」であったとのこと。
祖父からの言い伝えで「東北本線の開通の際に、せんべい汁を振舞ったら好評だった」との報告もあった。
岩手県北は、昭和30年代〜40年代頃に食べていたが、現在は食べないという人が多い。

Aせんべい汁の呼称
「せんべい汁」の呼称はいつの時代から定着したのか、確認できる報告はなかった。 馬淵川や新井田川流域の上流部に見られる「おもてなし料理」としての「せんべい汁」 が報告者の年代や時代背景から推測して、比較的早いようである。
また、八戸市の中心部周辺でも、早くから「せんべい汁」とも呼ばれていたようであ
る。いずれも明治時代の早い時期までたどることができる。
 他には、「せんべいかやき」「台鍋」「台鍋せんべい」などが報告された。

B昭和20年以前の推定食エリア
 八戸市内の全域(沿岸部の一部を除く)と、三戸郡全域、上北郡南部(百石町・下田町・十和田湖町の一部)。
  北:奥入瀬川(旧相坂川)流域
  南:岩手県との県境周辺地域
八戸市内で「食べていた」という報告がなかったのは、鮫・白銀・湊・小中野・沼館・八太郎・根岸・河原木・長苗代・尻内・新井田などである。

この地域でも、まったく食べなかったというのではなく、食べる地域からの婚姻関係が あれば「せんべい汁」を食べている家庭も存在していた。馬淵川下流域の長苗代・河原木・根岸・八太郎地域では、出産時・病気時以外は食べられていなかった。
八戸市内中心部(三日町・十三日町・八日町・六日町など)では食べられなかったが、職人町を構成していた町内(十六日町、大工町、廿六日町)では食べる家もあった。

Cせんべいの種類
 汁やかやきに入れるせんべいは「白せんべい」がほとんどだが、「ゴマせんべい」を入れた例 も報告されている。八戸市内・三戸郡からの報告もあるが、岩手県北で多く見られる。また北 海道でも食べていたという報告があるが、そのほとんどが「ゴマせんべい」とのこと。南部出身の人も多い北海道でせんべい屋が多くあり、「南部せんべい」といえば「ゴマせんべい」のことだったという。
昭和三十年代初頭まで、手焼きの「てんぽうせんべい」の使用も報告されている。

 

八戸せんべい汁研究所
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