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年 代 |
できごと |
19世紀初め
江戸時代・文化文政期
(1804〜1830)
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江戸の五穀を中心とした食文化の影響から、八戸地方でもそば粉・麦粉の食文化が発達し、てんぽ焼きの南部せんべい・せんべい汁が誕生。 |
19世紀中
江戸時代・幕末頃 |
刀鍛冶や農鍛冶の人々が副業として「せんべい焼器」を製造していた。 |
| 明治時代 |
八戸の美玉竹松が創業した〈美玉製鉄場〉が、鉄製のせんべい焼型を大量に製造した。明治の中後期には北海道や樺太、津軽、秋田、岩手方面に販売されていき、「南部せんべい」の製造地域が大幅に拡大されることになった。 |
| 明治30年代 |
硬めの食べ物が求められ、それまでの半熟状のてんぽ焼が徐々に姿を消し、硬焼のできない蕎麦せんべいは見られなくなる。
東北本線と八戸線が開業。東北本線の尻内駅(現新幹線八戸駅)で「南部せんべい」が売られ、八戸地方の名産品として広く知られるようになる。名称は、「南部せんべい」と「八戸せんべい」とが混在していた。 |
| 明治40年代 |
石臼に代わって機械動力の製粉機が石橋源右衛門によって八戸に導入される。それに伴い、八戸地方で栽培されていた良質の小麦「うるち種」のせんべい粉が量産されるようになり、小麦を原料とする現在の「南部せんべい」に一気に転換する。 |
| 大正10年代 |
鉄道旅行のガイドとして『鉄道旅行案内』が刊行されて、ベストセラーとなる。この中で、東北本線で唯一「せんべい」を名産品として紹介したのは尻内(八戸)駅舎だけであった。 |
| 昭和15年 |
八戸商工会議所が設立され、商業振興のために「名物・八戸煎餅」のカラー印刷ラベルが作られるなど、八戸名物として商品開発が促進される。 |
| 昭和20年代初 |
八戸煎餅組合によって「南部せんべい」の創始起源の再整理が行われ、以後「長慶天皇創始伝承」が主流になった。 |
| 昭和30年代初 |
半熟のてんぽ焼せんべいをちぎって入れた「せんべい汁」が姿を消す。以来、「せんべい汁」といえば現在の堅焼の〈白せんべい〉を割って入れる調理法を指すようになる。
おつゆ用せんべいが登場し始める。 |
| 昭和40年代 |
全国的な郷土料理ブームが起こる。「せんべい汁」も八戸地方の郷土料理として紹介されるようになり、食べる習慣がなかった家庭でも、食卓にのぼるようになる。 |